マリオネット劇場



大柴 正巳 ● (ザルツブルグ物語の中のザルツブルグの散歩道より抜粋)


 シュヴァルツ通りに面して、モーツァルト音楽院と州立劇場に挟まれるように立っている。
なんだ人形劇か、などと言うなかれ。とにかく一度鑑賞することをおすすめする。
この劇場は、モーツァルトのオペラのほとんどが人形劇で鑑賞できる国際的にも有名な劇場なのである。
音楽祭の期間を中心に6,7,8月はほとんど毎日のように上演されている。
午後8時からを中心に7,8月の音楽祭の期間は午後2時からの公演を加え1日に2回になる場合が多い。

 外観はなに気なく通り過ぎてしまうくらいの建物であり、入り口の頭上には金文字で「ザルツブルグ・モーツァルト・シアター」
と書かれている。ゆるやかな階段を上がってゆくと、チケット売り場を兼ねたロビーに出る。
祝祭劇場のオペラとちがい、早めに行くと当日でもチケットは購入できるが、
できれば事前に手配しておくとよい。チケットを求め右側に進むと劇場の入口に通ずるロビーに出る。ロビーの壁面には、
歌劇に登場するいくつかの場面が人形とともに飾られている。小さなロビーだが、右手の奥には売店もあり飲み物もある。

 収容人数300人ほどのこのホールは、昔はカジノとして使われていたものを改良して人形劇場としたとのこと。
私のような旅行者も含め、幼児から大人まで幅広い年令の人々でいつ行っても満席である。
日本人の初任給でも3回も鑑賞すれば終わってしまうようなチケット代のオペラと違い、
こちらは気の利いた食事を一度する程度の予算で鑑賞でき、ネクタイがなくても入場できる。
 人形劇はどれを鑑賞してみても、みんなそれぞれに素晴らしいものばかりなのだが、その中からひとつだけを絞るとなると、
中でもとくに優れている「魔笛」をおすすめする。

 私はオペラ劇場でも生の「魔笛」を数回観たが、「魔笛」は、やはりマリオネットで鑑賞するほうがいいと思っている。
劇中の音楽はウィーンフィルの演奏を録音したものを使い、ホール内の音響は素晴らしく、歌手もパパゲーノには
ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウ、
夜の女王にリタ・シュトライヒといった具合に、オペラ歌手の名手たちがずらり勢ぞろいして歌うという豪華なものである。
人形師のほうも、とても人間業とは思えない。
人形の動きよりも素晴らしい糸の動きに、いつしか観客は自分が人形劇を観ていることを忘れてしまい、時折、光線の具合で人形の糸が
見えることがあって、はじめて人形劇であったと思うほど、その劇にのめりこんでしまう。なんとも不思議な体験である。

 劇中の、夜の女王が飛行して現れ消えてゆく場面。全身に鳥の羽根をつけた半人半鳥の姿の鳥刺しのパパゲーノとパパゲーナ。
黒い小人たちのラインダンス。それらは絶妙な音楽効果とともに観る人の心をうばってしまう。
 なんとも不思議な歌劇である。モーツァルトが神の使いとして、デーモンとして作曲した600もの曲の最後を飾る、
1791年9月28日完成された最後の歌劇「魔笛」は、彼の芸術の集大成なのかもしれない。
「魔笛」完成の2ヶ月余り後の1791年12月5日、彼は未完のレクイエムを残して神のもとに召された。

 私はこれからもこの地を訪れるたびにきっとこの不思議な歌劇を、この劇場で観続けることと思う





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